●参加動機:就労移行支援に通うまでの期間に社会参加できる機会を探していて、
今後なんらかの形で子どもに携わる仕事に就きたいと考えているため。
●やったこと:主に調理のお手伝い、配膳や片付けの見守り。
昼食後は、のんびりと子どもたちやスタッフの方々とのお喋りを楽しみながら、時々ブースのお手伝い。
●気づいたこと:
誰に対しても自然体で接し、自分に出来ることに前向きになれていた。
振り返ると、これまで四苦八苦しながら進路を模索し、自分を育てられる機会を求めながらふらふらしていたけれど、
自己紹介など自分のことを話さなければならない場面で、学生でも社会人でもないことに引け目を感じ、
縮こまってしまったり、参加したいと思っても、応募資格が得られないことが多々あり、その度にやりきれない気持ちで、
どこにいても場違いな気がしていた。
家庭の事情でなんとか受かった大学に通えず、気づくとニートになっていて、虚しくて、悔しくて、
無力感でいっぱいになりながら、働きたいと思うほど、自分を何かの型に収めないと安心できなくて、
焦って混乱し、一番大切な自分自身を見失っていた。
そして、自分だけでなく人をもさまざまな偏見や固定観念で判断しようとして、
その人自身というものちゃんと見られていなかったと思う。
知らないからこそ恐れすぎて、物事や自分をつまらなくしてしまう。
そんな反省があってから、今回のように年齢から肩書きまで様々な方々と、和やかな時間を過ごすなかで
多種多様な生き方があっていいと、ようやく心から理解出来たように思う。
仕事それ自体がその人のすべてではなく、色々な色があるように、人も色んな色の混ざり合いで出来ていて、
変化しながら、自由なのだと考えさせられた。
いまの子どもはまるで社会人のように、時間に追われ大変そうだ。
時間やお金があっても、心が縛られていては自分自身になっていくことは難しい。
私は、なにかのかたちで子どもを見守る活動に携わっていたいと思うので、
このような、学校の勉強ではなかなか気づけないことを子どもたちの心にどうやって届けようか考えたいと思う。
また、相手にとって何気ない言動が、自分にとっては特別な記憶になることがある。
まっさらな感性を持って過ごす子どもたちの貴重な発見の毎日を、一部でも共にできることはとても幸せなことだから
相手に、まっさらな気持ちで向き合えるような自分でいたい。